#003 今回紹介する酒は、説明要らずの超人気蔵、秋田県秋田市“新政酒造”
代表銘柄はNO.6。日本酒好きで知らない人はまずいないだろう。
現存する最古の清酒酵母である「6号酵母」発祥の蔵でもあります。
No.6をはじめ、プライベートLabシリーズ、Colorsシリーズなど数多くある人気銘柄の中から2020ヴィンテージで終売となった「Colors 瑠璃 ラピスラズリ2020」を取り上げます。
そして今回のマリアージュのテーマは「生き様」です。
創造のため、終わる酒
まぁ、美味いわなぁ。
まぁ、そりゃ美味いわなぁ….
生酛ならではの乳酸が新政らしい酸味と相まって唯一無二の味を出している….
口切り直後ではガス感もあり食前酒として食中酒としても邪魔せず、存在感を発してくれる非常にバランスの取れた味わいです!
抜栓して時間が経つとガスは抜けてし味が落ちると感じる人もいると思いますが、個人的には、抜けたことによって乳酸をより感じれることができるので時間が経ったラピスも結構好きです。
その知らせは突然
それは10月21日配信のJSP(ジャパン•サケ•ショウチュウ•プラットフォーム)のYouTube生配信「UTAGE」にて突然知らされました。
この「UTAGE」は毎週木曜20時頃から配信されており、JSPに加盟している内の1蔵がホストとなり自社の酒造りやお酒を紹介していく番組です。
10月21日の配信ではJSP発足者であり代表理事を務める新政酒造の佐藤祐輔さんがホストとして登場しました。
この回で紹介した日本酒は祐輔さんも大好きと語っていた「瑠璃(ラピス)」の特別版「新政酒造 × 松本日出彦 瑠璃(ラピス)中取り」でした。
※元澤屋まつもとの蔵元杜氏であった松本日出彦氏と醸造された限定モデルの中取り
そんなラピスを紹介する回で2020年から原料米である「美山錦」の栽培の一切を行っていない、と。
生産本数も新政の中ででトップクラス、味・人気共に高いこの酒をやめるというのは中々の決断だと思います。
ただ、やはり進化し続ける新政。何かを変えられる人は大切なものを捨てることができる人。
同回で語っていた新政の今の理念に「秋田をこだわって伝統的な方向へ」がある。
こんな思いからここまで秋田にこだわり抜いた新政は「美山錦」をやめる決断をしました。
※実は「美山錦」に伴い「美郷錦」の栽培もやめたらしい(=天鵞絨 ヴィリジアンも生産終了)。
最後の輝き、続く酒は….
「美山錦」の栽培をやめて、秋田原産で歴史に埋もれた米「福小町」の栽培を始めたらしいです。
2021vintからは「美山錦」に代わり「福小町」がオレンジ色でcolorsを彩ってくれます。
新たな新政の創造のために美山錦・瑠璃は終わる。
最上の酒・米の最後の輝き。
美しい散り際。
日本酒に対して生き様、人間味を与える新政はどうしても素晴らしい。
美山錦の謂れ(妄想考察)
っと、まぁ。これまで「UTAGE」での祐輔さんの発言ベースにラピス、美山錦について語ってきたわけだが、ここからは勝手に僕の新政に対する妄想考察を語ろうと思います。
美山錦の栽培をやめた理由はもう一つあると思っています。
それは、美山錦の謂れです。
美山錦は系譜的に「たかね錦」という酒米に放射線(γ線)照射によって開発された突然変異種なのです。
大前提として美山錦を否定するつもりは全くありません。素晴らしい酒米だし、ラピスをはじめ美山錦の日本酒で大好きなお酒はたくさんあります。
ただこの美山錦の謂れは新政のこれからの酒造り、理念に反しているところがあったのではないでしょうか。
純米にこだわる、6号酵母にこだわる、生酛にこだわる、鵜養での無農薬栽培米に挑戦した、木桶工房創設に挑戦していく、全量木桶仕込み挑戦していく、そして日本酒文化総合保護企業という情熱を持っている。
こだわりに、こだわり抜いている新政。
新政は自他ともに認める日本酒界を席巻していく企業だと僕は思っています。
その自分のこだわりを貫くため、そんな新政のこれまでの、そしてこれからの紡いでいく生き様のためには終わるものが必要だったのではないかと、僕は勝手に妄想考察をしています。
余談ですが一度祐輔さんと直接お会いする機会があり造りや6号酵母、麹菌などお聞きすることがあり、その時聞いた言葉が「新政は日本酒文化総合保護企業だと思っている」でした。
もう….情熱がすごいですよね….
日本酒には2通りの美しさがあると思っています。
変わらない美しさと変わる美しさ。
どちらも美しくてどちらも好きです。
だけど僕はどうしても変わる素晴らしさを追ってしまいます。
始まりへ向かう終わりの歌 欅坂46「誰がその鐘を鳴らすのか?」
欅坂46最後の楽曲
欅坂46の終わりのファンファーレであり、始まりのファンファーレでもあるこの曲。
欅坂46は2020年10月13日「欅坂46 THE LAST LIVE」をもって5年という歴史の幕を閉じた。
この楽曲はそのラストライブの最後に歌われた曲です。
5年間の想い、これからの希望がこの曲には詰め込まれています。
歌詞と音楽のリンクと自己対比が美しい
この曲では「世間(彼女たち以外の人間)」の喧騒とそれに対する「彼女たち」の静かなうちに秘めた熱き想いの対比を歌った曲だと僕は感じています。
この曲中では
- 歌詞=彼女たちの想い
- 音楽=世間の喧騒
と表現されている。
※2に関しては曲全体がそれを表しているのではなくあくまでリンクポイントに関してはです。
リンクポイント
リンクポイント
- イントロ
- 1番Aメロ
- 2番Aメロ
- ラスサビ前
- アウトロ
1. イントロ
デビュー当初うちに秘めた期待と不安、乃木坂46の妹分としての世間の期待の大きさがイントロの大きな心臓音とうっすら聞こえる街の生活音で表されておりこれを、
自分の話 = 世間の喧騒
他人の話 = 欅坂46、彼女たち1人1人の思い
と表現されている
2.1番Aメロ
デビューしてからファーストシングルがリリースされるまで
彼女たちのこれからこの世界でどうなっていくのかまだわからない、期待と不安。
何もまだはじまっていない彼女たちの物語がピアノのみのうすい音層で表している。
巨大な鐘 = これから大きくなるであろう欅坂46
3.2番Aメロ
欅坂としてのイメージが自他共に定着し、歩むべき方向性が見えてきた。
1番Aメロではピアノのみの伴奏であったが重いバスドラムが足され、それが意志の強い歩みとして表現されている。
1番高い山 = 世間からより認知され影響力が強くなった欅坂46
風・海 = ネットやテレビなど多くの情報を発信しているメディア
4.ラスサビ前
大きくなった欅坂は世間から批判されることも増えてきた。
その時の自分達の思いは伝わらず、悪いように受け取られることもきっと多くあっただろう。
自分達の思いをもっと伝えたい、だけど伝わらない。
メディアの情報だけでなく私たちの話を聞いてほしい。
そんな思いがここに詰まっている。
曲のもっとも盛り上がるところであえて盛り上がりきらづにピアノのみの伴奏になり、そのタイミングでの歌詞が「みんなで黙ってみよう」
5.アウトロ
「この」鐘ではなく「その」鐘である理由
この曲は紐解くと平手友梨奈に対するリスペクトとコンプレックスが隠れている。
「その」鐘とは平手友梨奈が作り上げた欅坂46という世界観でありその壁の高さを表していると感じる。
故に「この」鐘ではなく「その」鐘なのだ。
その鐘を鳴らすのは自分達ではない、この鐘はその鐘ではない。
その中でリスペクトとコンプレックスの中でもがき努力する彼女たちの葛藤が歌詞に表れている。
彼女の表現力は絶大だった。
この曲を除いて全てのシングル表題曲でセンターを務めた平手友梨奈。
欅坂46の曲は他のアイドルと比べて、とても世界観が深く、メッセージ性が強い曲が多い。
こうなれば平手友梨奈が欅坂46の象徴となるのは必然である。
ファンの間でさえそう認識されていたのだから世間でのその印象はさらに強い。
2020年1月23日に平手友梨奈は欅坂46を脱退した。
薄々そうなるのではという雰囲気はあったがこの事実はファンの間で衝撃が走った、ファンと比べて薄いだろうが世間でも少しばかりは衝撃が走ったであろう。
象徴が無くなったのだから。
このシングルは2020年8月21日に配信された。
この楽曲において音楽は欅坂46が結成してから活動中止するまでの5年間、平手友梨奈が脱退してからの半年間の世間の喧騒で表されている。
歌詞はその喧騒の中での彼女たちの想いが綴られている。
彼女たちにとっての鐘とは平手友梨奈が象徴としてあった欅坂46。
つまり鐘とは平手友梨奈。
「その鐘を鳴らすのは平手友梨奈であって彼女たちではない。」
という思いを彼女たちは少なからず感じていたと思う。
そんな思いからタイトルが「この鐘」では「その鐘」になったのだろう
誰がその鐘を鳴らすのか。
この言葉からは彼女たちが自問自答しているように感じられる。
自分に鐘を鳴らす資格・価値はあるのか。
自分とは何者か。
自分は自分らしく生きているか。
人に言われて今の自分を演じていないか。
当たり前の道を選んでこの道に進んだのではないはずだ、本当の自分らしく歩めているのか。
今歩んでいる道は未来(夢)へ本当に繋がっているのか。
僕たちの鐘はいつ鳴るんだろう。
その綱を奪い合ってたら、今と何も変わらない。
彼女たちの葛藤に聞こえる。
葛藤の先の新しい道が櫻坂46であった。
続く坂道(更新予定)
そんな葛藤を曲がった先には櫻坂が存在した。
新たな坂道を登る彼女たちには日本人の情緒に触れる桜が咲いている。
これからさらに変わってゆく彼女たちから目が離せない。
そして想いを託し伝説へ(更新予定) 山里亮太 × 若林正恭「明日のたりないふたり」
始まり
始まりは12年前、下北沢タウンホール
日本テレビのバラエティ番組「潜在異色」のスピンオフ企画として始まった。
人見知りで恋愛、社会性、社会性、がたりていない2人が自分のコンプレックスを隠すことなくお笑いへ昇華させた伝説のユニットだ。
今となってはコンプレックスを活かした笑いはメジャーになってはいるが当時、そんなお笑いは稀有な存在だった。
今となっては一際輝く存在になったふたりが如何にこうなったらそしてこれからどう生きていくのか。
たりないふたりは彼らのこれまでであり、これからを表した「生き様」そのものであり、ふたりに共感したずべ手の人たちのバイブルとなり得る作品だ。
生き様芸人のふたり
変わることで自分を表現した若林。
変わらないことで自分を表現した山里。
違う歩み方をした2人の盟友だが示し続けた生き様は本物だ。
出なければ月曜の夜から画面にかじりついた僕たちがお笑いをやっているこの2人の姿に涙するはずがない。
内容は関係ない。その人が生きてきた道。それを本気で表現したものはどんなにバカバカしい内容でも人は感動し、泣いてしまうのだと。
僕はこの2人の漫才、生き様を見て感じた。
“たりなさ”とは
“たりなさ”とは“のびしろ”
このたりないふたりに多大な影響を受けたHIPHOPグループ、Creepy Nutsはたりなさをのびしろを表した。
これを聞いた時、あまりリンクしない二つの言葉なのに衝撃と納得感が僕の中に生まれた。
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